ドイツ国内をいろいろと旅していると目に付くのは風力発電とソーラー発電所が到る所にあることだ。ドイツではこういった再生可能エネルギーが目に見える形としてたくさん存在している、と思う。
日本の原子力発電所の事故についてドイツを初めとして大きく原子力発電に対する考え方が変わったきっかけになったと思う。
ヒステリックな議論に加わるつもりは全くないのであくまで自分の覚え書きとして書いておく。
日本の事故の経験からドイツでは原子力発電所はモラトリアム(事実上永久停止)となった。なぜドイツを見習って日本でこれができないのか、なぜまた再開しようとしているのか?など様々な議論が行われている。
私は正直、事故の前は原子力発電には一種の嫌悪感を持っていた。TEPCOのショールームなどに行くと、原子力発電はクリーンで理想的、などと説明されていて如何に環境に優しく安全なエネルギーだ、ということが強調されていた。
でも、私がこの時感じていたのは原子力発電で出てくる廃棄物や稼働中の原子力発電所はいずれ廃棄されるのだが、この廃棄物の処理については何ら解決されておらず、廃棄される頃には技術的な問題が解決されているはずだ、などということが言われていたことに対する疑念だった。
これはあたかも「有人の宇宙ロケットをとばします。帰りは今は技術が確立されていないけど、帰る頃には大丈夫だからこのロケットに乗って火星に行ってきてくれませんか」、と言われているのと同じだと思った。
こういったこともあり、私は事故の前、原子力発電自体、あるいは増設には賛成できなかった。
一方で日本には石油資源がほとんど無く、輸入に頼らなければならないこと、第2次世界大戦の開戦はこの石油を確保しなければならないことも開戦の原因の一つとなった、という反省から、石油に頼らないエネルギー政策を進めたい、ということは理解できた。
また、原子力発電の究極はプルサーマルや高速増殖炉で核燃料を作りながら発電できる、という技術的に実現するととても夢のような発電方法を実現したいという技術的な欲求があることも理解できた。
これらについては技術者としてはやりがいのある仕事なのかもしれないが、越えなければならないハードルは幾つもあり、失敗することの代償もとても大きいことから実現の可能性もかなり低く、成功するとしてもかなり先の話になる、と思っていた。
そして、2011年3月の事故の時以来感じているのは、この事故の収拾を頑張るしかない、だから反対だったんだ、なんて言っている場合ではなく、人類の英知を集めて事故を収拾しなければならない、ということだ。
事故を見てそれ見たことか、と反対だけを言っているのは無責任でどうやって収拾し、その後どうするのか、を議論するべきなのではないか、ということだ。
そのために今ある原子力発電所を止めるかどうか、は別の議論だ。まずは頑張って収拾しよう。この事故から学ぶべきことを学ばなければならない。
ドイツがこの事故の後、原子力発電所を止めた、原子力発電からの脱却を決めた、すごい判断だ、と言われる。この話もちょっと気をつけたいのだが、ドイツは今国内にある原子力発電所を全部止めたわけではない、ということ、つまり稼働中の原子力発電所はドイツ国内にまだたくさんあること(半分も止めていない)、2020年までに全部止める、ということを決めた、ということ。
また、原子力発電所を止めたことによって不足した電力を原子力発電で発電したフランスから買っているのだからきれい事だ、などと言われているが、正確ではないこと、つまり、ドイツはむしろ日本の原発事故の前も後もずっと電力を輸出していること、などたくさんの理解不足があるように思う。
冷静にデータに基づいた議論をして欲しい、と感じる。
参考になるURL
http://www3.ocn.ne.jp/~elbe/kiso/atompltk00.html
データの出典も明示してあり、ドイツの電力政策を日本語で知る資料としてきちんとまとまっていると思う。
この人類史上最大かもしれない失敗にきちんと向き合い、きちんと収拾する努力をし、乗り越えた先にあるものはこれまでに原子力発電につぎ込んできて得られたものよりも遙かに大きなものが得られるはずだ、と思う。日本人にはこれをする責任も能力もあると信じている。